小説 多田先生反省記

22.遊び人集団 多田一家

 法学部2年「やクラス」は全員が専門課程に進んで、クラス担任の任務は終わった。とはいっても担任という公の職務から解放されただけのことで、多田一家は消滅してはいない。宗像の他にも多田一家の構成員ではないものの、引きも切らず私の研究室はおろか自宅まで押し寄せてくる学生は幾人もいる。その一人に佐賀出身の磐木という4年生になる経済学部の学生がいた。城南では英語以外の第2外国語は初級の4単位が必修科目となっていて、中級は選択科目なので中級クラスはほんの数名しか受講していない。磐木は2年生の時分になぜか私の中級ドイツ語を履修したのだ。1年生の内に週に2度しかドイツ語を勉強していない学生相手に、私が学生時分に、それも専門課程に進んでから読んだことのある19世紀に書かれたドイツの小説を教材にした。初級の知識しかない学生相手にそんな読みにくい原書を与えたところで、それらの学生が読み熟(こな)せる筈もない。森鴎外がその小説を翻訳していたが、それは翻訳というよりも鴎外の小説ともいえる体裁になっていて、とても参考にならない、鴎外のことば遣いそのものも若い学生には馴染みにくい。学生たちはそれでも辞書と首っ引きで予習をしていたようだ。学生が躓いたら私が解説をするだけの授業なので初級クラスよりもずっと楽である。そんなクラスだから当然のことながら受けてみようなどという学生はどこか風変わりな気質を備えている者ばかりである。その数少ない受講生の一人の磐木は授業の合間を見つけては研究室に遣って来た。初めのうちは難解なドイツ語の構文について教えを請いに来ていたのだが、構文に慣れてきたら中身について色んな意見を出すようになってきた。時に私たちの話はその小説の筋とはかけ離れたところでの文学論へと展開することもあった。磐木とは堅い話に明け暮れるばかりで、日常の生活に密着した雑談はない。時が経つにつれて磐木は社会科学に関連した書物を読んでは、私を訪れてその理論を披瀝するようになった。私が公団住宅に引っ越してからはこちらにも頻繁に顔を出している。誰の目にも体格もさることながら風貌も大野と重なる人物なのだが、考え方は正反対だった。磐木の兄は私よりもずっと年上で、六本松で経済学を担当している助教授である。兄からの影響もあるのだろうが、厳木はマルクス経済学を信奉する学生だった。ただし、城南にはマルクス系の経済学者がいなかったこともあって、磐木は書物を頼りにマルクス理論に取り組んでいた。大野は法律を目指していたのでマルクス経済学とは学問の上での拘わりはないのだが、大野からすれば磐木のマルクス主義に裏打ちされた社会科学の理論は肌には合わなかったようだ。大野は今では京都に居を移しているので磐木と口角泡を飛ばしながら議論をすることはない。私も学生時分に左翼思想に傾いた時期もあっただけに、そうした革命的思想の源流が掴めないこともないのだが、矢張りさして楽しくはない。しかし磐木もお酒は好きである。呑んで酔えばいつまでも資本論がどうの、労働者階級の解放だのという話はおのずと脇に置いて、浮世の話へと転んでゆくのだが、酔いが覚めればいつだって何をどう話したのかも分からないような辻褄の合わないことばかり話題にしている。磐木はクラシック音楽にも興味を抱いている。私からすると果たして磐木がそうした分野への造詣が深かったかどうかは曖昧だった。指揮者ではカラヤンよりもフルトベングラーの方が奥行きが深いなどと宣うのだが、私には皆目分からない。康子が持っていたのは偶(たまさか)、磐木が惚れ込んでいるフルトベングラー指揮による「田園」であったこともあって、磐木は折に触れて遣って来てはそのレコードを聴いていた。ただし、「運命」の方は生憎カラヤンの指揮によるもので、こちらを聴くことはない。ある土曜日のこと電話のベルが鳴った。遊びにきていた諏訪が電話に出た。

「はい、多田です。…あ、磐木さんですか?僕、諏訪です。多田先生の家に遊びにきとったとです。…そうですね、多田先生の家に電話したんですから、僕が多田先生の家にいるのは当たり前ですね」諏訪は受話器を右手で塞いで「磐木さんからです」と私に言った。私は悪戯してやろうと受話器を受け取った。

「俺、これから多田先生のところに行こうと思ってるんだけど、先生は午後もいるかな?」

「ああ、おるよ。これから来ると?」

「ああ、ちょっとレコード聴かせてもらおうかと思ってな」

「また田園か?ヨカよ。ばってん、お前、誰と話とんじゃい?」私はドスのきいた声でそう語りかけた。

「あれ、先生ですか?いつの間に替わったんですか。気が付かなかった。そんじゃ、これから伺います」

やがてカランコロンと下駄の音が階下から聞こえてきた。磐木は私の家に来るときにはいつも下駄履きである。諏訪とは研究室で時折顔を会わせることもあったが、二人が同時に我が家に来たのは初めての事だった。二人はクラシック音楽という共通の話題を持っていたので喧しい議論にはならなかったものの、諏訪はハイドンやモーツアルトなどの弦楽四重奏曲が好みであるのに対して、磐木はもっぱらベートーベンなどの交響曲を聴くのが好きなタイプにて、話は必ずしも噛み合わない。一頻りしたところで裏手を流れる室見川を散策しながら海辺へと行こうかと話が纏まった。

 「姐さんも行くでしょう」

 「そうね、百道の浜は結婚前の2月に見たきりだから一緒に行こうかな」

 結婚して間もなく多田一家のコンパが百道の浜にある海の家で開かれたのだが、あの時はすでに日暮れていて浜辺を歩くことはなかった。

 「奥さん、結婚前にいらしたことあったんですか?」磐木は康子を奥さんと呼んでいる。

 「ええ、そうよ。あの時は百道の海はどんよりしてたわ」

 「2月いうたらまだ寒か頃ですもんね。海の色も今頃とは違ぉとります」3年生となった諏訪も季節ごとの百道の浜を見てきている。

 「今日は6月ですから海はすっかり夏模様ですよ、奥さん」

 博多は6月ともなればもう夏の気候である。帽子を被ってこなかった康子はハンカチを頭に載せて暑さを凌いでいる。前を歩いていた諏訪が振り返った。

 「姐さん、その恰好はちと止めたほうがよかですよ」吹き出しそうになりながら諏訪が言った。

 「いいの、これで。熱くて髪がちりちりに焼けそうだもん」

康子は身なりなどに構ってはいられない。土手沿いに歩いているので滅多に人と擦れ違うこともない。時折、川面を辿るそよ風が頬を掠めていって幾分ほっとした。

 「先生、この室見川は後ろの背振山から流れてくるじゃないですか」

 「うん、そだな」

 「僕、去年の事なんですけどね、あの背振山を超えて、歩いて佐賀まで帰ったことがあるんですよ」

 「へえ、佐賀まで歩いて行ったのか。そりゃ凄いな。何時間かかった?」

 「朝、出てって、家に着いた頃はもう暗くなっていました」

 「背振山を超えて行くバスだってあるよな」

 「でもね、そうしたバカげた事って学生時代じゃなきゃ出来ないでしょ。それで思い立ったんです。家に帰り着いた時には足は豆だらけでした」

 「そうだろうな。それにしても学生の頃って確かにそんな突拍子もないこと思い付くよな。俺も学生の時だけどさ、自家用車で大学に通っていた友達がいたんだ。ある時ね、新宿で俺を拾ってくれるっていうことになってさ、わざわざ新宿で電車を降りて待ってたのに、いつまでたっても来ないんだな、その友達が。それで、しょうがねえからすたこら歩き出したわけ」

 「大学まで距離はどれ位あったんですか?」磐木が聞いた。

 「佐賀までの距離程じゃないけど、かなりあったな。電車と地下鉄を乗り継いで一時間近くかかる距離だからな。それで、途中で疲れて公園で一服してたんよ。そしたらパトロール中だったんだろうな、警察官がつかつかと来てさ」

 「先生、逃げ出したっちゃなかですか?」私の顔を覗き込むようにして諏訪が聞いた。

 「まさか、高校生の時じゃないから落ち着いたもんよ。おまわりさん、『君、学校はどうしたの?』って云うんだよな。俺はね『これから行くところです』って平然と答えたわけ」

 「高校生がタバコ吸いよぉと、間違われたんですか?」

 「そうみたいだな。身分証明書を見せろって云うんでね、学生証を出したわけ。そしたら、おまわりさん慌てて『このあたりは物騒ですから、どうぞ気を付けて下さい』って云って自転車で走っていったよ」

 「みんな、知ってる?先生はね、高校生の頃はピカイチのワルだったのよ。渋谷あたりでも肩で風切って歩いていたんですって。新宿警察にも御厄介になってるのよ」

 「えっ?先生は警察に捕まったことあるんですか?」磐木が驚いた。

 「そうじゃないよ」

 「そうでしょ、吃驚したなぁ、もう」

 「新宿警察じゃなくて、目白警察!」

 「うわっ!やっぱりお世話になってるんだ。それにしても、どうしてですか?」

 「昔の話よ。ちょっとした喧嘩でね」

 「先生って、そんなにワルだったんですか?今の先生からは考えられんですけど」

 「磐木さん、先生はそげんやったから今じゃ多田一家の貸元ば張っとるとですよ。ね、先生!」

 「ま、そんなことはどうでもいいけど、あっちを見ろよ。海がないぜ」

 室見川の河口のずっと先まで潮が引いている。沢山の人影が蠢(うごめ)いていた。

 「そうだ、この間、満月でしたよね。今日は大潮ですたい」

 「何だ、その大潮ってのは?」

チョウセキのことです」

「チョウセキ?アゲハの一種か?」

「その蝶とは違います。チョウは潮の満ち干きの潮、セキは同じく三水に夕方の夕です。学校で教わったでっしょうもん、先生も」

「俺はその日は風邪ひいて学校を休んでた」いつもの口上である。

「俺も、習ったけど詳しくは覚えてないな」磐木は私よりはましなようだ。

「海水は一日の内に高低差があるやないですか」

「それは誰でも知ってる。満潮と干潮だな」

「それです。その周期を潮汐云いよります」

「そうよね、このチョウセキ…だったけ?それが起きるのは月と太陽の引力が要因になっているのよね」

「姐さん、よう知っとんしゃる」

「康子じゃなくたって、それ位は俺だって知ってるよ」

「ここからなんですよ、先生!月の引力、それも地球に対する潮汐力は太陽の2.4倍もある云われようです。面倒なメカニズムは省いてお話するとですな、新月と満月の時は月と太陽と地球が一直線上に並びよります。その時は、このあたりはようっとは覚えとりませんが、要するに海面が引っ張られたりしよって、海面の高低差が大きくなって大潮になります。今は大潮の干潮ですね。そやから海の水がずっと向こうまでなかとです。これが満潮になりよったら水はずっとこっちまで来よります。…磐木さん、なんでニタニタしよるとですか?なんかいやらしい事ば考えよるんと違いますか?」

「いや、そんな事はない。よく知ってるな、と思って感心してただけ」

 私たちは乾いた砂地で履物を脱いで、ずんずんと歩いていった。幾らか水気のあるところの砂を掘ってみたらアサリが次々と現れた。ほんの僅かの時間でアサリが山となった。私は徐にポロシャツの下の肌着を脱いだ。みんな呆気にとられて私の仕草を見呆けている。私は裾の部分を捩じりあげて肌着を袋にして、それらのアサリを仕舞い容れた。私の肌着は直ぐに満杯になってしまった。アサリの山はまだある。磐木が一計を講じた。自分のアパートがすぐ近くにある磐木は一端そのアパートに戻って、バケツを持ってきた。そのバケツに残りの山を放り込んで磐木がえっちらおっちらと運び、私と諏訪はそれぞれ肌着の袖の部分を持って団地に戻ってきた。私たちを見かけた近所の子供がすり寄ってきたので、アサリを分けてやるから何か器を持ってくるように申し渡した。てんでに自分の家に走って行ったが、居残っていた二人の小学生が聞いた

 「こげん沢山のアサリどげんしたと?」

 「百道の浜で採ってきよったと。今日は大潮やけん海の水がず〜と沖の方まで引いとったんよ。よ〜け潮干がりしよる人がおったばい」諏訪が説明している。「姐さん、この子らにもやってよかですか?」

 「勿論いいわよ。お鍋かなんか持ってらっしゃい」

 「美智子、あんた行っといで!」

 「お姉ちゃんが行ってよ」

 「あんたが行くと!」姉の貫録で妹を家に走らせた。すぐ向かい側の棟だった。「ねえ、さっきアネサンって云いよったろ。アネサンて何ね?」

 「あんたにはよう判らんだろうな、こげな言い方は。お姉さんいう意味や」

 「そやったら、あんたら兄妹?」

 「違う。こん人はな、城南大学の先生で、この姐さんいう人はこん先生の奥さんたい」

 「よう、分からんけど、ま、いいわ。私、お姉さんて呼んでよか?」

 「いいわよ。美智子ちゃんて妹さんなの?」

 「そうたい。私は川端晶子です。私たち年子なの」

 「そう。何年生?」

 「私は4年生で、美智子は3年生」

 美智子が鍋を持ってきた。

 「どうせ、砂抜きしなきゃだめだから、砂抜きしてから上げようか?」

 「なんだ!鍋取りに行って損した!」美智子が膨れている。

 他の子供たちにそれぞれアサリを配って、二人は私たちと一緒に家に入ってきた。

「うわぁ、スヌーピーの縫いぐるみのある」二人は居間のソファーに座っているスヌーピーを見つけて燥いだ。

 「可愛いか!ねえ、お姉さん、スヌーピー、抱いてもよか?」晶子が聞いた。

 「私も」晶子に大きい方のスヌーピーを取られてしまった美智子は小さい方の縫いぐるみを抱き上げて、ソファーに座り込んだ。諏訪が晶子のスヌーピーを取り上げた。

 「折角、私が抱きようとに、なして取り上げると?」

 「まあ、よかけん。見とれ!」諏訪はスヌーピーを元の通り、ソファーに座らせたり、寝かしたりしている。「ほら、このスヌーピーな、いろんな恰好のできようもん。足ば組んでも様になりよろう。ばってん、見てみ!こうして四つん這いにして、犬の格好ばさせよったらぜんぜん似合わんと。どげんですな?磐木さん」

 「ほんとだけど、お前はつまらんことに目が向くな」

 「よかけん、返してぇな」再びスヌーピーを大事そうに抱えて晶子は妹に声をかけた。「みっちゃん、こん人な、城南大学の先生やて。そいでな、このお姉さんは先生の奥さんや。うちらお姉さんて呼んでよかって」

 「そうね?お姉さん、いつからここにおると?」

 「去年の暮れからよ。よろしくね」

 「嬉しかぁ!私、お姉さんが欲しかったと」晶子は長女なのでそんな願望があったようだ。

 「私もお姉ちゃんとは一つしか歳が違わんけん、こげん大きなお姉さんのほしかったと」

 二人の少女もその晩は諏訪らと一緒に夕飯を食べていった。その後も当たり前ながら研究室に来ることはないものの、学校が引ければ、いつでも二人してお姉さんを訪ねてきては、いつしか学生たちのアイドルとなり、多田一家の幼い構成員となったのは言うまでもない。時にはすぐ向い側の棟だというのにパジャマを持ってきて寝泊まりしている。

 入道雲がにょきにょきと空に立ち昇る頃になると大学は夏休みに入る。大籠が海辺でキャンプをしようと言い出した。場所は玄海灘に面した芥屋(けや)の大門(おおと)と決まった。キャンプ場もあるらしい。大籠が車を手配し、テントなどのキャンプ道具も一式揃えてくれることになった。奥稲荷は生憎、大阪までアルバイトに出掛けることになっていて参加できないことを大いに悔しがった。メンバーは高取と笹岡の二人の他に神崎と諏訪の併せて6人となった。磐木はその当日は既に予定が入っていて、都合がつけば翌日キャンプ場に来ると言う。朝早くから一同が集まった。女性陣は昼の握り飯を作り出した。

「わたし、お握りなんてよう作らん」高取が言った。

「あんた、握り飯くらい作れんとか。ただご飯ば丸めればよかろうに」大籠が言った。

「そんな簡単な事じゃないのよ」康子が言った。「掌(てのひら)に適度に塩を振ってね、ご飯を載せたら、ご飯が潰れないように、そっと、優しく握らなくちゃいけないの」

「そげんですな?ばってん、姐さんは料理でんなんでん、よぉこだわりますもんね」

「お前、よく姐さんを見とるね」私はうっかり余計な事を口走ってしまった。

「こだわるってどういう意味よ」康子が噛みついた。

「いや、悪か意味ではのぉしてですな…。どげん云うたらよかろうかいね」

「何でも自分の思い通りじゃなきゃ気が済まんいう事やろうもん」

「それはあなたでしょ。いつだって、何だって自分の思うように運ばないと気が済まないじゃない!」

「俺はそんなことないよ。柔軟性をもってるさ。お前にはそうした物事に対する嫋(たお)やかさがないって、大籠は云ってるんだ」

「私が我儘だって云いたいんでしょ、どうせ!」

険悪な雰囲気が漂い始めた。

「大籠の云うとんは、姐さんは細かいところまでよう気を配りんしゃる、いう意味ですけん。まあ、まあ、夫婦相和して」いつもの通り、諏訪が執り成した。

「こだわりなんていう問題じゃなくてね、力いっぱいぎゅっと握ったお握りは美味しくないのよ」康子の気持ちも幾らか落ち着いたようだ。

「そうですよね。握り方だってそうだし、塩梅っていうコトバだってあるでしょ、その塩の加減だって難しいのよ。後でお昼に食べてみればわかるわよ」笹岡が同調した。

「わたしって料理なんてしたことなかけん、よっとわからん」高取はすっかり観念している。

「料理したことなかって、威張ってはおられんじゃろうが。嫁さんになれんぞよ」諏訪が冷やかした。

「母はどうせ結婚したら否応なしに料理せんならんから、心配せんでよかって云いよるです。でも、やっぱり少しでも奥さんのところでお料理の仕方習おうかな?」

自動車は5人乗りなので私と神崎、諏訪の3人はバスで行くことになった。

 私は高等学校の生徒の時分からテントを担いで山歩きをしていたこともあって、テント張りは許より野外料理もお手のものである。大きなテントを張って私たちは早速水遊びに興じた。大籠はトラックのタイヤで拵えたような大きな浮き輪を用意していた。私はその浮き輪に?まりながらほんの少しばかり沖の方まで行ってみた。浜辺ではぬるかった海水が冷たく感じられた。これも大籠が容易してくれた一升枡にガラスをはめ込んだような道具で水面下を見てみると、岩の間にアワビとサザエが張り付いているのが目に入った。浜辺にいる康子らに「アワビとサザエがあるから今夜はこれを食おう」と呼びかけた。大籠がスイスイと泳いできた。実に達者な泳ぎ手である。私は大きく息を吸い込んで、浮き輪から手を放して潜ろうとしたが、1メートルほど下に行ったと思ったら、すぐに海面に浮かんでしまう。何度やってみても同じことだった。私の横でいろんな泳法で泳ぎ回っていた大籠が今度はいきなり大きく息を吐き出して、真っ逆さまに潜っていった。浮かび上がって手にしていたのは小さなサザエだった。私はアワビとサザエを採るのを諦めた。諏訪たちは火を熾す手筈を整えている。

 「今夜はアワビの踊り食いとサザエのつぼ焼きにするつもりだったけど駄目だな」賽の目に切ったアワビを海水に浮かばせて食べようとの心積もりも、醤油の焦げた香ばしいつぼ焼きも不発に終わった。大籠は女性陣を引き連れて近くの漁港に買い出しに出かけた。目玉がピカピカに光っている立派な伊佐木と、これまた向こうが透けて見えそうな烏賊を買ってきた。伊佐木は塩焼きにして、烏賊は刺身とぽっぽ焼きにして堪能した。冷えたビールが喉を潤した。

 「姐さん、ここは半島ですばってん、僕んがたの家はですね、また前原の方さ戻ってそこからもっと南に行った唐津にあります」

 「そうだったな、お前は唐津だったよな。俺たち、時たま唐津まで行ってるぜ」

 「いっ?唐津までですか?何ばしに行きよぉとですか?」

 「唐津にね、美味しい札幌ラーメン屋さんがあるの。神崎君知らない?」康子が神崎に聞いた。

 「僕は札幌ラーメンやら食べんですもん」

 「美味しいのよ、とっても」

 「先生たちって札幌ラーメンば食べにわざわざ唐津まで行くとですか?」大籠が驚いた表情で聞いた。

 「そうよ。私は博多ラーメンよりはやっぱり札幌ラーメンの方が好きね。九州のラーメンって匂いがちょっと駄目なの。匂いっていえば、焼酎の匂いも嫌いよ」

 「焼酎の匂いがお嫌いだっていうのは分かりますけど、博多のラーメンの匂いはそんなに気になりますか?」笹岡が不思議そうに康子に聞いている。

 「そうなの、あの匂いが駄目なのね。先生は好きになったみたいだけど」

 「先生はもう博多っ子になりようですね。コトバ遣いはよく間違われますけど、一応、博多弁も遣いよりますもんね」高取にからかわれた。

 「博多弁はまだまだよっとは遣いきらんけどな、俺も最初はラーメンも焼酎もどっちも駄目やったね。ばってん、今じゃ焼酎は芋でなからな、いかんバイ」妙な博多弁だ。

 「先生が焼酎を飲んだ時は、隣に寝ているだけでも、私、息苦しくなっちゃうの」

 「姐さんが息苦しくなるとは、先生の焼酎の所為やのぉて、オナラでしょ」諏訪が口を挟んだ。「今夜は焼酎は呑みよらんばってん、テントなんですからオナラはせんといてくださいよ」

 「オナラっていえばね、この間なんか、遊びに来ていた長丘さんが帰ろうすると時、先生ったら玄関先でオナラしたの。そしたらね、長丘さんもオナラで返してきたわよ」康子が言った。

 「そうだな。あん時はあいつ、恍(とぼ)けて『あれ、蛙の鳴きよぉとですね』なんて言ってたな」

 臭い話に笑いこけているうちに夜が更けた。

 翌日も朝のうちから水遊びに戯れた。

 「やっぱ、海もこんあたりにきたら水がきれいでよかですね。大牟田だと有明海ですけど、あそこはもういかんですばい」諏訪が深刻な顔をしてそう言った。

 「そうだよな、水俣病が疑われたのは八代海だけど、やはり有明海でも怖れられてるのか?」ぼんやりとした記憶の糸を辿りながら私が聞いた。

 「そうですよ。やっぱり続きの海ですけんね」

 「そげん暗い話ばっかりしよってもしょんなかろうもん。海っていえばくさ、小学校唱歌に『吾は海の子』ってありよぉもん」大籠が口をはさんだ。

 「小学校唱歌とはお前随分古い云い方をするな」私は思わず口走った。

 「あの作者は誰かって、ずうっとわからんようだったって聞いとりますばってん、何とか云う人の娘さんが『そりゃ、うちの父親だ』って名乗ってきたことのあるってでしたもんね。そん人の名前は忘れてしもたばってん、場所は鹿児島の錦江湾ちゅう云われよぉとですよ。はっきりはせんようやけど」

 「へえ、そんなの初めて聞いたな」私がその話の穂を繋いだ。「お前たち、知っとるか、あの歌の本当の意味って?」

 「本当の意味って、あの通りなんじゃないですか?」笹岡が怪訝な顔をしている。

 「あれはね、一人の母親と幼子の話なんよ。いいか」みんなが興味深そうな顔をして私を見つめた。康子ひとりがニヤニヤとしている。

 「おっかさんがね、『吾は海の子』って歌ってやったんよ」私は節をつけて歌ってみたが、どうしても調子が外れてしまう。大籠が「騒ぐ磯辺の松原に」と続きをきちんと歌った。「うん、それでよか。そこで続けておっかさんがこう云ったんだな、『坊やは海の子なんだよ』そしたらそのガキがこう云うたと。『それで、おっかさんは?』『わたしかい?わたしは産みの親だよ』ちゃんちゃん!」

 「先生の昔話っていつもこうなのよ」康子が笑いながら言った。

一頻り遊んで体を休めていた所に磐木がやってきた。スイカをぶら下げている。大籠はどこかに氷を買いに車を走らせた。折角のスイカだから冷やして食べさせようとする気遣いだ。昼は焼肉にしようと意見がまとまって再び大籠が女性陣を引き連れて買い出しに出かけた。勿論、ビールを買い忘れるようなことはない。肉を頬張ってビールを飲んだ。

「いや、昼の酒は亦いいもんやね」私はうかれた。

 「麻雀パイ持ってくればよかったね、面子も揃うとるし」大籠は一年ほど前に麻雀を覚えた。私の家にぞろぞろとやってきて勝手にパイを並べていることもあって、さながら我が家は雀荘の呈を成している。私は麻雀はやらない。書斎としている玄関脇の部屋で勉強でもしていればよいのだが、それも癪なので他の連中とトランプなどで遊んでいるしかない。

 「誰も麻雀せんじゃろうが。お前だけたい、このメンバーで麻雀の出来ようとは」諏訪が言った。

「俺はさすらいの雀士じゃけんね。どこでも麻雀ばしよっと」

「お前たち、先生の家でも麻雀してるんだって?」磐木は誰かから聞いたようだ。「まったく多田一家は本物の遊び人の集まりだな」

「そやけん、多田一家なんて名前のつきよったですもん」神崎が自嘲気味にそう言った。

「冬になったらスキーに行きたいな」康子はもう冬の話をしている。

秋になって吹奏楽団の演奏会が開かれるから、ぜひ来てくれと長丘から声を掛けられた。長丘は3年生になって主将を務めていて、サックスのソロ演奏も披露するという。それなら花束を進呈しようということになって、花束の贈呈の役は川端姉妹に押し付けた。

学生服の上に金糸、絹糸の金モールをぶら下げた勇壮な団員たちは舞台で右左あるいは縦横にとりどりの管楽器を吹きながら一糸乱れぬ動きを見せた。いよいよ佳境に入り、ステージの中央で長丘のソロ演奏が始まった。アドリブを交えているということだったが、どの部分がアドリブなのか私には皆目分からなかった。長丘のソロが終わって改めて地元ラジオ局のアナウンサーが長丘を紹介した。

「城南学院大学、応援指導部、吹奏楽団主将、長丘均さんでした。皆様、今一度、長丘さんに盛大な拍手をお送りください」長丘が笑顔で手を振った。「ここで皆様から花束の贈呈をお願いいたします」次々と学生諸氏の名前が呼び上げられた。「つぎは、ええと…」名前が書き込まれたメモを見て、プロのアナウンサーが言葉に詰まった。舞台の袖で花束を抱えて出番を待っている可愛らしい川端姉妹に目が向いて、胸を撫で下ろしたようだ。「あ、多田ご一家の皆さんからです」

「ご一家やのうて、ヤクザの多田一家じゃい!」奥稲荷が叫んだ。

 秋も深まった頃、大野から手紙が届いた。京都大学に進んだ大野は幸いなことに私のような不埒な先生との出会いもないようにて、日夜勉学に励んでいるとのことである。卒業したら法曹界ではなく外務省に入省したいと書いてきた。それもよかろう。

 新しい年を迎え、後期の試験も終わったところで大籠はさすらいの旅に出てくると言い残してふらりと出かけていった。

 ある晩のこと電話が鳴った。仙台の兄からだった。酔っているようだ。

 「何だか、多田一家の代貸とかいうのが来てるぞ」

 「えっ?」直ぐに大籠の顔が浮かんだ。「大籠が行ってるんですか?どこかに旅に行くとは云ってましたけど、仙台に行ってたんですか」

 「呑みさ連れていくべと思ったんだげっとも、麻雀するべってきかねんだ。しょうがねえから家で呑んでな、これから麻雀すっことになったんだ」

 康子から実家の住所を聞いていたようだ。その後、大籠は兄におねだりして蔵王に連れていってもらってスキーもしてきたようだった。旅行から帰るなり恋人の早苗さんを伴ってきて、鳥取の大山にスキーに行こうと言い出した。スキーと聞いて康子が断る筈もない。春休みを待って私たちは夜汽車に揺られて出かけて行った。

スキー場に着いていきなり私たちはリフトで頂上まで行くことになったが、私も早苗さんもスキーを履くのは初めてのことだった。リフトの乗り場まで行くのに大層な思いをした。蟹歩きのように横向きになってなだらかな坂を一歩また一歩と上って行くだけの事だが、これが思うようにならない。数歩上ってはズルリと下に滑る。康子にストックを掴んで引き上げてもらった。リフトを降りてゲレンデに出るなだらかな斜面で私は尻もちをついた。早苗さんも同じように転んでいる。

 ゲレンデには色とりどりの服装のスキーヤーが屯(たむろ)していた。その斜面を見て私はたじろいだ。先ずは康子が斜滑降で滑って行って、適当なところで止まって、その通りに来いと叫んでいる。大籠はへっぴり腰ながらも無事に康子のもとに辿り着いた。私と早苗さんは互いに先を譲った。いつまでも愚図る私たちをみて康子が斜面を登ってきた。

 「左右のスキーをこう揃えて、膝を山側に向けてね、そして山側の脚に力を込めて、右の脚は軽く浮かすような感じで、顔は前を見て、体は谷の方に向けるの。そしたらストックを軽く突いて、体を前に推し出せばいいの。お手本を見せてあげるからね」そう言い残して康子は先ほどよりは半分ほどの距離を巧みに滑っていった。

 私も後を追った積りだったが、ストックを突いた途端に斜めに転んで、メガネにも雪が被さった。何度やってみても同じだった。早苗さんも同じ動きだ。大籠が早苗さんのもとに登ってきた。

 「こら、さっさと立たんか!」

 早苗さんは歯を食いしばるようにしてストックを雪に刺して体を起こしている。私ももう滑るどころの話ではない。幾度も転んではようようの思いで起き上がるのだが、起き上がればまたスキーは勝手に滑っていく。さすれば今度は尻餅をつく。康子がまた私の許に登ってきた。

 「俺はもうスキーなんか止める」私は板を外そうとしたが、どうやったらよいものかその手順が分からない。

 「ほら、早苗さんだってあんなに頑張ってるんだから、そんなに癇癪を起さないで一緒にすべりましょ」

 私達が転げ落ちるようにゲレンデを降りてきた頃には、日も暮れようとしていた。やれやれこれでお仕舞だと私はほっとした。

 宿は2段ベットが二揃いの部屋だった。食堂で夕飯のカレーライスを食べて私たちはその部屋に戻ってきて、持参したウイスキーの栓を開けた。これから先は私の独断場である。窓をあけると大きな氷柱がぶら下がっていた。ピーナッツなどを摘まみながらオンザロックと洒落た。

 「それにしても大籠は何でも熟(こな)すな。泳ぎも上手かったけど、スキーもあげん出来るとは思わんかった」

 「姐さんのお兄さんから蔵王で教わってきましたもん」誇らしげである。

 「さすらいの雀士だけじゃのぉして、スキーもやってきたとか。偉いのう」

 「早苗ばスキーに連れて行こう思いよりましたけんね。ちっとは滑りよらんと恰好のつかんでっしょうもん」

 「エライ男気やねえ。俺なんか康子に怒られながらやっと降りてきたとよ」

 「そりゃ、男としては女に先を越される訳にいかんですよ」

 「そうするってぇと、俺はさしずめ、男落第か?」

 「いや、そげんは云うとりません。姐さんはスキー歴の古かですけん、上手いのは当たり前ですばってん…」

 康子と早苗さんは酔っ払いの戯言には耳をくれずに何やら楽しそうに話し込んでいる。

 「でもな、康子に教わるってぇのもフェミニズムなんだぜ」

 「なんですな、そのフェミニズムって?」

 「俺はフェミニストなんよ。お前みたいに、初めてスキーをしよる早苗さんを怒鳴りつけたりはせんよ」

 「僕はですね、怒鳴ったんではのぉして、励ましたとです」

 「いや、あげな事云いよっては、フェミニストの風上にも置けん」酔いに任せて私のフェミニズム論は行く先を失ってきた。「女性は大切にせんといかん。云うやろ、原始、女性は太陽だったって」自分でも何を喋っているのか分からない。そのうちに酔いつぶれた私は下のベットに放り込まれた。

 朝になって目覚めた私は気分が優れなかった。しこたま飲んだウイスキーの所為ばかりではない。帰りの足は又もや夜汽車である。また日がな一日スキーをしなくてはならないのだ。私と早苗さんはリフトは使わず、下のゲレンデを滑っては転んでいた。どうやってもスキーの板が先に進んで、体は置いてけぼりになってしまう。雪に埋まるように倒れている私の横で巧みにスキーを操る子供たちを見るにつけ、私は悔し紛れに心の中で叫んだ。

「お前たちはスキーが出来ても、ドイツ語はでけんめえが」

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